ピレリは2015年に中国化学メーカーの中国化工集団公司に保有株式を売却、中国資本となりました。しかし、F1におけるタイヤ供給は2027年までの延長が決定。変わらぬレーススピリットを維持し続けると信じたい。
ピレリのF1参戦は特別な存在です。1950年にF1が初開催された当初から、タイヤサプライヤーの1つとしてその責務を果たしています。ピレリの歴史はレースの歴史でもある、と言えるのでは。2017年はモータースポーツ活動110周年でした。そして最新もその意欲は揺るがない!
ピレリはレースとブランドと価格の使い分け
ピレリは、1872年にジョヴァンニ・バッティスタ・ピレリによって創業されました。イタリア ミラノが本社所在地であり、タイヤビジネス誌の2022世界シェアは3.7%で6位を誇ります。世界4大陸に19の工場を持ち、160ヶ国以上で事業を展開、従業員は36,000人にも及びます。
1981年に23年ぶりとなるF1へ復帰、ただ弱小チームへの供給に留まります。1985年は前年にミシュランが撤退しグッドイヤーとの直接対決となりました。28年ぶりに勝利するも翌1986年に撤退。
1989年復活し再びグッドイヤーとの対決。1990年ティレルへも供給となり、中島悟の入賞に貢献。しかし、1991年参戦数200戦目にしてまたもや撤退。
2010年にはブリヂストンが撤退し、2011年から第4期となる供給が開始されました。20年ぶりとなる返り咲きは契約期間が3年、その後更新され2016年まで。そしてミシュランとの供給争いを征し2017年から2019年まで継続。最新は2027年まで延長されています。
2015年は中国化学メーカーの中国化工集団公司に保有株式を売却、総額は71億ユーロ(約9,300億円)に。上場廃止になるもブランドは維持、約38,000人(当時)の雇用も維持されると報じられました。
国内展開
国内では1971年に阿部商会が独占販売契約を結び輸入開始。1999年には阿部商会とピレリが共同設立したP&Aが輸入発売元になりました。2005年P&Aとピレリが合併しピレリ・ジャパンが設立、国内販売が本格的に開始されます。
1980年代後半の日本はバブル景気に沸いていたこともあり、当時の日本車は新車装着としてピレリを採用するメーカが目立ちました。いわゆるハイパフォーマンスとしてのブランド価値を見出した結果かと。現在ではあまり見られない・・
2014年国内低燃費タイヤの規定を満たす「Cinturato P7 Blue」が発売。国内でも独自路線の主張性を強く感じていたものの、その流れには緩やかに沿う。
近年はAPAC(アジア・パシフィック地域)へ向けられた製品の強化が進みます。中国工場で製造され、ピレリブランドのイメージを維持しながらも価格を上手に使い分けることで、一定層への受け入れが進んでいます。
アジア・パシフィック市場の強化
ピレリが示すAPAC(アジア・パシフィック地域)とは、日本、中国、韓国を主とするもの。特に中国に対する意欲は相当高い。2015年のクルマ市場規模が米国を抜いて世界一となりましたので当然かと。因みに2位米国、3位日本です。
また2015年、中国化学メーカーの中国化工集団公司がピレリを買収し傘下に収めています。このこともピレリと中国との関係性に更なる結び付きを強めているのでは。
専用として向けられる製品は、F1タイヤも開発しているイタリア ミラノのピレリR&Dセンターで開発され、中国工場で生産後にデリバリーされます。欧州の工場と同じ設備を整える中国工場で製造、グローバル製品と同じ質を実現しながらもコスト面での優位さを持つ、要は安いと言うこと。
この在り方が大々的にアナウンスされたのが2012年だったかと。「Cinturato P1」のデモンストレーションは相当派手な演出でした。この時に市場認知を経てプレミアム製品拡大を図ることが伝えられています。
更に2014年のスタッドレスタイヤ「ICE ASIMMERICO」を経て、2016年の「DRAGON SPORT」に至ります。「DRAGON SPORT」は新たなスポーツカテゴリーの提案として「Cinturato P1」レベルのアナウンス活動が展開されました。
APACのメインは中国です。そこから支流となる日本へとは正直寂しい。やはりここは日本専用に拘りたい。が、実はAPAC向けの施策が日本でも好感を得ています。
少なくとも「Cinturato P1」と「ICE ASIMMERICO」その他への注目は、決して当サイトに限ったことではないでしょ。もしそうだとしたら、当サイトの影響力があり過ぎなので私自身驚く。
注目される理由はピレリが持つブランド力。中国企業の傘下であってもピレリはピレリです。スーパーカーへも装着される「P ZERO」シリーズや、F1への供給は極めて高い信頼性を維持しています。
ここ重要なところ。欧米等ではプレミアムブランドとしての認知を強調、一方APACではブランド認知を活用し安さによるボリュームアップを図ります。但し、安かろう悪かろうではいけません。
ピレリタイヤ性能比較
スポーツ
タイヤ性能の最上級を意味するのがUHP(ウルトラ・ハイパフォーマンス)です。しかし、本当の意味でUHPに耐えられるのは僅か。その中のひとつがピレリの「P ZERO(ピー ゼロ)」シリーズです。
「P ZERO」のコンセプトはモータースポーツに由来しています。究極のハイパフォーマンスで世界ラリー選手権グループBの怪物として知られた四駆のランチア「デルタS4」用のタイヤとして、1985年終盤から1986年にかけて「P ZERO」のコンセプトが誕生したという。
初の乗用車用「P ZERO」の誕生は1987年、フェラーリ「F40」のために開発されたもの。エンツォ・フェラーリが「そのままレースに出られる市販車を」という基本理念を具現化したものです。
現在のようなトラクションコントロールやスタビリティコントロールなどの電子制御システムの制約を受けない、478馬力を発する「F40」のためのロードタイヤ、という重い使命を背負って開発されました。
車とともに進化した「P ZERO」の歴史は30年以上。現在でもピレリのフラッグシップブランドとして進化しています。やはりこの伝統が無ければUHPにはならない。ブランドの位置付けには重いものが感じられます。
ピレリのレーススピリットを色濃く示すのが「P ZERO」の本分。スポーツ走行用「SPORT」、高性能サルーン用「LUXURY」を詳細化。ただオーダーメイドを主張し発売当時で既に60車種のホモロゲ―ションを取得。パーフェクトフィット戦略が本筋。
プレミアムピュアスポーツが本来与えられるカテゴリー。メーカー主張も素直に響く高性能。一般道とサーキットの両方でモータースポーツ技術の流用から最良を提供、追及したのは究極のスポーツパフォーマンス。ターゲットはFOR SUPER CAR。
スポーツコンフォート
安全性、ドライビングの喜び、環境への配慮、汎用性など4つの特性を併せ持つ。コンパウンドにハイブリッド素材を使用、タイヤの歪みを安定化させ15%の軽量化を実現。トレッドパターンの最適化など、転がり抵抗は25%低減。
プレミアムコンフォート
国内ラベリング制動の低燃費タイヤ規格適合。転がり抵抗係数「AA」(一部「A」)、ウェットグリップ性能「a」。名称の「BLUE」はピレリがF1へ供給するウェットタイヤに因んでのこと。ウェットグリップへの自信あり。
次世代低燃費タイヤ、転がり抵抗係数「A」(一部「AAA」)、ウェットグリップ性能「b」を実現。安全性、燃費性能、持続可能性などを高次元で両立。プレミアム車とクロスオーバー車に向ける最新ピレリハイパフォーマンスサマータイヤ!
左右非対称パターンや、P ZEROシリーズから継承する4本溝の採用など「P7」に比べ新しいトレッドパターンを導入し、転がり抵抗の低減、静粛性、省燃費性能、そして運動性能の向上などが強調されている。
コンフォート
対象をクロスオーバー、セダン、ミニバンに向け多様性に満ちたコンフォートを実現する。国内低燃費タイヤ化を果たし「A/a」が多数は正にドンピシャのグレーディング体系。価格と性能のバランスで有効。
このところ強化著しいアジアパシフィック市場へ向けた製品として中国工場で製造。対象はコンパクトからミドルサイズカーへ向けられる。国内の低燃費タイヤ規定にも適合、全サイズ「A/B」を実現する。
SUV
「P ZERO」シリーズのSUVとして性能指針はウルトラ・ハイ・パフォーマンスを継承。パターンは方向性の差異により異なるデザインを採用。SPORTパターンはハイスピードでのコーナーリング性能を謳う、対してLUXURYパターンは静粛性に舵を切る。
スポーツパフォーマンスの追及はそこそこに優先するのは快適性、安定性、そして環境性の3つ。エコロジーを特徴付けた製品であるグリーンパフォーマンスに位置付ける。実現するのは「Cinturato P7」同様のパターンを採用し最適化を図ること。
対象をクロスオーバー、セダン、ミニバンに向け多様性に満ちたコンフォートを実現する。国内低燃費タイヤ化を果たし「A/a」が多数は正にドンピシャのグレーディング体系。価格と性能のバランスで有効。
4×4
区分けはSUVオールシーズンと迷ったけれど、諸々調べた結果A/Tへポジショニング。A/Tタイヤとしてオフロードもグイグイ走れる性能が秀逸。ただオールシーズンとしては3PMSFは見逃せない。従来品「SCORPION ATR」の後継。