ファイアストンとブリヂストンの関係に触れてみる

 日本人として偉業を成し遂げたレーシングドライバー 佐藤琢磨選手、アメリカ伝統のカーレースであるインディ500の優勝はとてつもなく凄いことです!

 で、装着されるタイヤはファイアストン。北米におけるシェア、2016年は乗用車用がグッドイヤー、ミシュラン、ブリヂストンに次いで4位(7.5%)だという。

 現在ブリヂストンの100%子会社です。過去世界的メーカーであったファイアストンが商標権の侵害で訴える(司法闘争の結果ブリヂストン勝訴)など、良くも悪くも関わりがあったんですね。

 ということでブリヂストンとの関係に触れますが、「エクスプローラー」の事故かなり痛手だったのでは・・

買収の背景

 1980年代、日系クルマメーカーの北米進出に伴う国内新車用タイヤ需要の減少などから、ブリヂストン内でも北米への本格的な進出を望む声が高まる。しかし、当時米国系クルマメーカーへ新車用タイヤの納入実績はなし。

 そこで候補に挙がったのがファイアストン。1988年1月にファイアストンの全世界のタイヤ事業部門を所有し経営する合弁会社を設立、株式の過半数を取得したい旨を申し入れ、2月にブリヂストン75%、ファイアストン25%の枠組みを決定、これを対外発表へ。

 ところが3月、ピレリが突然ファイアストン株式の公開買付けを実施するという敵対的買収を発表。ピレリは買収後、ミシュランにファイアストンの南米機構と米国のクルマサービス・タイヤ小売販売店網 マスターケア を売却する、という契約内容が明らかに。

 これに対して更に上回る金額で応えることを決定。ピレリは買収を断念。こうして買収が完了しファイアストンは完全子会社される。

 1988年4月、GMがファイアストンとの関係を2年以内に打ち切ると発表。

 1989年8月、ファイアストンに米国ブリヂストン(BSUS)を統合、ブリヂストン/ファイアストン・インク(BFS)に社名変更、本社をアクロンに置くことを発表。

 1993年7月、GMとの関係が修復される。

フォード「エクスプローラー」の事故

 1999年6月、米国でフォード「エクスプローラー」を運転する米TV記者が横転事故により死亡。TVはその原因をタイヤのトレッド・セパレーション(ゴムとブレーカーやカーカスとブレーカーが剥離する状態)にあると報道。

 2000年2月、米TVがファイアストン製のタイヤを装着した「エクスプローラー」が横転事故を起こし、多くの死傷者が出ていると報じる。2000年5月、米国高速道路交通安全局(NHTSA)はタイヤの欠陥調査を開始。

 2000年8月、BFSは調査対象となった1,440万本のタイヤ自主回収を発表。無償交換とともに、他メーカー製品に交換した顧客に対してもその費用を支払う対策を講じる。

 2001年5月、BFSはフォード社との信頼関係が修復困難なレベルにまで崩れたと判断、100年近く続いた北米・中南米におけるフォードとのタイヤ供給に関する契約終了を決断。同時にNHTSAに対して専門家の分析結果を渡すとともに、エクスプローラーの安全性について調査を開始するよう要請。

 2001年7月、NHTSAからBFSに対してファイアストン76万8,000本の追加リコールが必要であると示唆。10月、NHTSAから追加リコールの初期認定が発表。

 タイヤの安全性に確信を持っていたBFSは、法廷係争を視野に入れるもユーザーに困惑と混乱をもたらすことを懸念。またこれ以上NHTSAとの対立は会社再建を遅らせかねないと判断、顧客の要望に応じて無償交換することに。

 この市場対応でNHTSAはファイアストンに対する調査を終結。司法当局とも合意案に達し2001年11月和解へ。

フォードと和解

 2001年12月、BFSを持株会社及び持株会社傘下の事業会社に分社化。持株会社の名称をブリヂストン/ファイアストン アメリカス ホールディング(BFAH)とし100%子会社化。BFAHの子会社として、北米のタイヤ製造・販売を統括するブリヂストン/ファイアストン ノースアメリカン タイヤ(BFNT)へ。

 2003年1月、BFAHは新たな出発、そして企業ブランドとしてのブリヂストンと、プロダクトとしてのブリヂストン、ファイアストンをきちんと区分けするため、社名をブリヂストン アメリカス ホールディング(BSAH)に変更。

 2005年10月、BFNTがフォードに2億4000万USドルを支払うことで和解が成立。5年に及ぶ対立が終焉。

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