ピレリ 独自路線でブランドイメージと価格を使い分ける

 2015年に中国化学メーカーの中国化工集団公司に保有株式を売却、中国資本となったのは驚きと複雑感が漂います。しかし、F1におけるタイヤ供給は2019年までの延長が決定しており、変わらぬレーススピリットを維持し続けていると信じたい。

 フェラーリ同様ピレリのF1参戦は特別な存在です。1950年にF1が初開催された当初から、タイヤサプライヤーの1つとしてその責務を果たしています。ピレリの歴史はレースの歴史でもある、と言えるのでは。

 2015年は54ヶ国の250の選手権に参戦、その最高峰がF1だという。2016年にF1へ供給されたタイヤの総本数は42,000本以上に及びます。2017年はモータースポーツ活動110周年になる記念の年です。

 1981年に23年ぶりとなるF1へ復帰、ただ弱小チームへの供給に留まります。1985年は前年にミシュランが撤退しグッドイヤーとの直接対決となりました。28年ぶりに勝利するも翌1986年に撤退。

 1989年復活し再びグッドイヤーとの対決。1990年ティレルへも供給となり、中島悟の入賞に貢献。しかし、1991年参戦数200戦目にしてまたもや撤退。

 2010年にはブリヂストンが撤退し、2011年から第4期となる供給が開始されました。20年ぶりとなる返り咲きは契約期間が3年、その後更新され2016年まで。そしてミシュランとの供給争いを征し2017年から2019年まで継続が決定しています。

 2015年は中国化学メーカーの中国化工集団公司に保有株式を売却、総額は71億ユーロ(約9,300億円)に。上場廃止になるもブランドは維持、約38,000人の雇用も維持されると報じられました。

 ここからはピレリの創設と国内展開に関して触れますね。1872年にジョヴァンニ・バッティスタ・ピレリによって創業されました。イタリア ミラノが本社所在地であり、世界第5位のシェアを誇ります。世界4大陸に19の工場を持ち、160ヶ国以上で事業を展開しています。

 国内には1971年に阿部商会が独占販売契約を結び輸入開始。1999年には阿部商会とピレリが共同設立したP&Aが輸入発売元になりました。2005年P&Aとピレリが合併しピレリ・ジャパン設立となり、国内販売が本格的に開始されます。

 1980年代後半の日本はバブル景気に沸いていたこともあり、当時の日本車は新車装着としてピレリを採用するメーカが目立ちました。いわゆるハイパフォーマンスとしてのブランド価値を見出した結果かと。現在国内ではあまり見られないかな・・

 2014年国内低燃費タイヤの規定を満たす「Cinturato P7 Blue」が発売。国内でも独自路線の主張性を強く感じていたものの、その流れには緩やかに沿う。

 近年はAPAC(アジア・パシフィック地域)へ向けられた製品の強化が進みます。中国工場で製造され、ピレリブランドのイメージを維持しながらも価格を上手に使い分けることで、一定層への受け入れが進んでいます。

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P ZERO の歴史30年 満足度・安全性は今後へ向けた序章
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